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淫フィールドフライ

アクセスすなーーーーーっ!!

僕とメガネ

ふつうの話

僕は普段メガネをかけている。

コンタクトレンズは正直怖いので、就寝と入浴の時以外はメガネだ。
毎朝駅までバイクを運転するときも、まずメガネを外してフルフェイスのヘルメット被ってからメガネをかける。


裸眼の視力はおそらく0.1に満たないくらいだと思う。
こういうとたまに「ぜんぜんいいじゃん。俺(私)なんか0.01だよ」とか言ってくるクソ野郎がいる。なんなんだよ。聞いてないし良くねえよ。


もう長いこと目が悪いので今更メガネに不便は感じないが、メガネ屋で度を調節してもらったときなんかは感動する。視力1以上の視界はクリア過ぎる。絶対に女子高生のパンチラ遭遇率UPだ。

メガネをかけ始めたのは小学校5年生くらいだったと記憶している。
もともと目は良いほうで、3年生くらいまでは視力検査のランドルト環のいっちばん小さいやつもかろうじて見えていたくらいだ。
そんな僕がなぜ急にメガネが必要だったかというと、メガネに憧れていたからだ。
四角くて黒縁のキリっとしたやつが特にアコガレだった。
メガネかけてる人って頭よさそうだ、子供心にそう思っていたので、テレビや街中でメガネをかけた人を見るたびにその知的なオーラにシビれていた。
また、今も昔も僕は「静かに目立ちたい」ヤツであった。山月記でいうところの『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』といったところだ。

『あれ、メガネにしたんだ』
「うん、ちょっと目が悪くなってね(苦笑い)」←これが最高にカッコいいと思っていた。

今思うとこれは、腕に包帯を巻いて『くっ…"腕"が疼く…』とかやってるのと同じではないか。アイテムが変わっただけで中身は中二病だ。
こんなくだらないことに『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』という屈指の名フレーズを使うべきではない。虎と化した李徴に食い殺される。

さて、視力はバリバリA判定。しかし最高にカッコいいフレーズを言いたい。メガネをクイっとやって知的な自分をアピールしたい。
小五病の心がウズウズしていた。

決めた、目を悪くしよう。

そう決めた僕は、視力の低下を目指し日々活動に励んだ。暗い所で本を読み、寝る前に電気を消してゲームをする…。
結果から言うと、めちゃくちゃ悪くなった。一気に悪くなった。

こうして僕のメガネ野郎としての人生はスタートした。

メガネ歴10年近い僕にとって、メガネはアイデンティティみたいなものである。四角いメガネ=俺、みたいな感じだ。
高校生くらいまでは服や靴なんかのファッションアイテムには興味ゼロだったが、メガネにだけはこだわっていた。
だから今持っているメガネは普段使い用の黒縁の他に、余所行き用の3万円くらいしたブランドものがある。

僕の唯一のオシャレポイント、アピールポイントはメガネだ!そう思って今まで生きてきた。
しかし、最近驚愕の事実を知った。

黒髪メガネはどう見てもオタクだ。

twitterで流れてきた画像だっただろうか、アイドルのライブの観客達をとらえた写真だった。
これを見てびっくりした。観客のほとんどが黒髪でメガネをかけていた。
一瞬、「俺がたくさんいるな」と思った。
しかもそのツイートには「オタクはなぜみんな同じ顔なのか、見ただけでオタクとわかる」みたいな文が添えられていた。

ビックリ仰天だ!
俺が今まで「知的な男」だと思っていた像は「オタク」だったのか!
視力と引き換えに小学生から「オタク顔」として生きてきたのか!
なんて気持ち悪い顔の李徴なんだ!

今思えば、全く、俺は、俺の有っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳だ。
人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが俺の凡てだったのだ。
俺よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たるリア充となった者が幾らでもいるのだ。オタク顔と成り果てた今、俺は漸くそれに気が付いた。
それを思うと、俺は今も胸を灼かれるような悔を感じる。俺には最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、俺が頭の中で、どんな優れたメガネをかけたところで、どういう手段で発表できよう。
まして、俺の顔は日毎にオタクに近づいて行く。どうすればいいのだ。俺の空費された過去は?
…中略…
又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかえって見て貰いたい。
自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇ろうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎてメガネで知的な男をアピールせむとの気持を君に起させない為であると。


けっこう遠くまで来てしまいました。コンタクトレンズも考えてみます。